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略 歴 |
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1931年 | 東京生まれ |
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1957年千葉大学工学部卒業後、東京大学生産技術研究所を経て、イタリア ボロニア大学、西ドイツ・ミュンヘン大学に留学。工学博士(東京大学)。1971年東海大学教授、1979年東海大学情報技術センター所長、1994年東海大学宇宙情報センター所長を兼任し、数々の衛星画像データの研究を進める。この間、科学技術庁(現文部科学省)、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)の各種委員として、日本のリモートセンシング技術の研究開発、衛星開発などに参加している。 |
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主な著書・論文 |
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「画像の科学」「宇宙からの眼」「日本列島の謎」「宇宙から見た日本列島」「日本列島地図帳」「宇宙開発戦争」「秒読みの宇宙戦争」「コンピュータ・イメージング」「軍事衛星」「地球大紀行」「地球汚染を解読する」「地球を観測する」「蘇った古代のミイラ」「軍事衛星が解ると世界が見えてくる」「ハイテク考古学」「太陽を解読する」「衛星情報が世界を変えた」「ジオ・カタストロフィ上・下巻」「再現・法隆寺壁画」「地球環境セミナー1〜7巻」「ポピュラー・サイエンス"地球"」 「人類大破局」「地球にいま何が起きているか」「私たちのいのち―地球の素顔―」「宇宙考古学」 |
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1974年以来、地球観測衛星からの画像処理システムを開発し、多くの利用面を広げてきた。現在では各種の観測衛星や気象衛星の画像データによる情報解析を行っている。一方、テレビ放送の番組として衛星からの直接中継、世界の気象衛星の同時中継の企画制作や出演をしている。また、国際的観測、監視衛星の提案などを1981年以来続け話題を提供した。コンピュータによる画像処理の応用分野は広範で、宇宙、天体観測、地球環境、医学、デザイン、古墳の調査などに使われ、法隆寺の壁画の復元や百済観音像の復元を手がけ、藤原鎌足のミイラX線画像分析やチンギス・ハーンの墳墓の探査、シルクロードの遺跡調査などを進めてきた。最近では「宇宙考古学」の提案を行い、エジプトのナイル河に沿ったピラミッド群の中から未知のものを発見、発掘を行った。
また、2000年2月には、スペースシャトル「エンデバー号」に搭乗した毛利衛宇宙飛行士とハイビジョンカメラで宇宙から地球の姿をとらえるという共同計画をたて、スペースシャトル飛行中には、NASAジョンソンスペースセンターにおいて地上からその撮影を誘導した。2003年8月、NHK開局50周年記念番組「未来への航海」に出演、最終寄港地清水にてアジアの子供達に講義を行った。現在は、小・中学生を対象とした「地球講座」の講師として全国をまわっている。 |
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委員会活動 |
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1977年4月〜 |
科学技術庁 参与 |
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1980年4月〜1983年3月 |
宇宙開発事業団 地球観測室 開発部員 |
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1981年4月〜1987年3月 |
科学技術庁 航空宇宙技術研究所 開発部員 |
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1982年6月〜1986年5月 |
電子写真学会 会長 |
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1984年4月〜1988年5月 | 日本写真測量学会 副会長 |
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1986年8月〜1987年9月 |
運輸省 航空機事故調査委員会 専門委員 |
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1987年2月〜1995年9月 |
科学技術庁 航空・電子等技術審議会 委員 |
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1988年1月〜1990年8月 |
宇宙開発委員会 長期政策部会 専門委員 |
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1989年3月 | (財)都市防犯センター 理事 |
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1989年5月〜1990年4月 |
科学技術会議 地球科学技術部会 専門委員 |
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1991年8月〜1995年9月 |
宇宙開発委員会 計画調整部会 専門委員 |
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1993年3月〜1994年3月 |
科学技術会議 防災科学技術部会 専門委員 |
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1993年3月 | 宇宙開発事業団 参与 |
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1993年11月〜1994年9月 |
宇宙開発委員会 長期計画懇談会 委員 |
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1994年2月 |
(財)日本宇宙フォーラム 顧問 |
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1995年4月〜1996年3月 |
宇宙開発委員会 長期計画 専門委員 |
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1995年4月〜2000年12月 |
郵政省通 信総合研究所 顧問 |
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1995年4月〜1997年3月 |
リモートセンシング技術センター 参与 |
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1995年4月〜2001年3月 |
海洋科学技術センター 評議員 |
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1995年7月 | (財)なら・シルクロード博記念国際交流財団 シルクロード学研究評議員 |
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1996年4月〜2002年3月 | (社)資源協会 理事 副会長 |
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1996年4月〜2002年3月 | 地球科学技術推進機構 機構長 |
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1996年6月〜1997年4月 |
運輸省 航空機事故調査委員会 専門委員 |
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1997年4月 |
リモートセンシング技術センター 理事 |
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1999年4月〜2003年9月 | 宇宙開発事業団 技術参与 |
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1999年4月 |
内閣府 内閣情報調査室 顧問 |
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2000年3月 |
東海大学情報技術センター、東海大学宇宙情報センター所長 退任 |
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2000年12月〜2007年 |
財団法人 地球科学技術総合推進機構 理事長 |
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2002年5月 | 社団法人資源協会 顧問 |
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2002年4月 |
近畿大学国際人文科学研究所 客員教授 |
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2002年7月 |
独立行政法人 通信総合研究所 招聘研究員 |
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2002年7月 |
(財)ディフェンスリサーチセンター 評議員 |
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2003年4月 |
(財)松前国際友好財団 理事 |
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2003年10月〜2008年 |
独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 技術参与 |
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2004年3月〜 |
特定非営利活動法人 環境防災総合政策研究機構 顧問 |
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2007年 〜2010年 |
財団法人 地球科学技術総合推進機構 会長 |
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1970年5月 | 日本写真学会技術賞 |
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1978年5月 | 米国科学写真学会 Fellow |
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1984年6月 | 日本印刷学会論文賞 |
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1988年 | 韓国科学技術大臣感謝状 |
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1994年3月 | 日本放送協会放送文化賞 |
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1994年 | タイ国科学技術会議感謝状 |
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1996年7月 | 電子写真学会 学会賞 |
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1999年11月 | ハイビジョン推進協会会長賞 |
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